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ミステリ通が、本格ミステリ・ディクスン・カーの『第三の銃弾』を大解説!

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こんにちは、かりんです。

本格ミステリ作家として知る人ぞ知る ディクスン・カーをご存知でしょうか?

この記事は、ミステリ通の主人・徹の書評記事です。

当記事は、以前goo blog『いつもココロに栄養を』に主人が寄稿してくれたものを、当サイトへ移動したものです。

 

 

はじめに ミステリ作家のディクスン・カーについて

ディクスン・カーは、(1906~1977)は、生涯に70の長篇を著しました。その全てが翻訳紹介されています。

今回紹介するのは私にとって未読だった中篇『第三の銃弾』です。

発表は1937年。長らくアブリッジ版が流布し、そのアブリッジ版は短篇集に収録されていますが、今回読んだのは初版に基づくハヤカワ文庫から出ている『完全版』です。

この作品を足がかりにして、ディクスン・カーという作家について綴ってみたいと思います

 

 

 

 一般にミステリの型は二つに分けられると考えます。

 

1. 主人公とそれを取り巻く人間関係・社会的背景が先にあって、そこから何らかの犯罪が起きるもの。結末がどうなるか最後までわかりません。

 

2. 最初に事件が起きるもの。つまり犯罪者の悪巧みが先にあり、それが具体的な形を取ったのが事件。それを名探偵なり、警察官が捜査し、解決するというもの。

 

犯罪者の悪巧みとはつまり、犯罪者がトリックを使って容疑を免れようとするのを捜査陣が見抜いていくというスタイルです。そのトリックが奇抜であればあるほど、作風は純本格推理ものと呼ばれています。

 

現代ミステリの潮流が1であるとすれば、ディクスン・カーの作風は明らかに2になります。

 

つまり、最初に事件ありきなのです。

 

事件があって叙述が始まる。書く側から言えば、犯罪を支えるトリックなり、枠組みを考えてから話を作っていくことになります。登場人物を考えるのは話の骨格を作ってからになります。これですと、人物が人工性を帯びるのは避けられませんね。

 

 

1930年代中後半期のディクスン・カー

 

1930年代中後半期にカーは小説の事件性を前面に出し、その囲みの中で「意外な」結末まで一気に読ませる類の本格ものを多数著しました。

 

事件の中で示される水際立った不可能状況、まったく真相への道が見えない五里霧中の中盤、鮮やかに切って落とされる結末。

この三本柱で読者を最後まで引きずるのです。この時期の、ある意味「割りきって書いた」作品群はカーの最盛期を代表するものです。

 

『第三の銃弾』はそうした最盛期の一篇です。これが面白くないわけがありません。

 

 

ディクスン・カー『第三の銃弾』の魅力と弱点

 

ほぼ密室状態の室内で殺人が起きます。被害者の死因は銃弾によるものです。最有力容疑者が被害者の目の前にいてリヴォルバーを発砲していました。

 

しかし、その弾は被害者から逸れ、壁に突き刺さりました。被害者を撃ったのはリヴォルバーではありません。銃声は二度轟いたのがわかっています。その二度目の発砲は室内の花瓶の中から発見された自動拳銃でなされたことがわかりました。

 

しかし、被害者はその銃で殺されたのではなかったのです。果たして被害者は誰によってどの銃を使いどのように殺害されたのでしょう。

 

やがて凶器の銃は意外な場所で発見されることになります……。

 

カーは巧みなプロットの紡ぎ手です。一警官の視点で物語を語り始め、それが客観的事実であるかのように読者に思い込ませるのです。

 

さらに、被害者の目の前に佇んでいた最有力容疑者の証言が尋問形式で綴られます。これも被疑者が嘘をついているかもしれないのに、証言が真実だと思い込まされてしまうのです。まんまと術中にはまり霧の中を歩かされる読者は、真相の意外さに衝撃を受けるでしょう。

 

ただ、見方によればこれはアンフェア感を拭えませんね。犯人の用いるアリバイ・トリックもありえないし、フェアではないでしょう。でも、それも大目に見ようではありませんか。読者は「枠組み小説」にどっぷり浸かり、満足したのですから。

 

この「結末まで一気に持っていく」力量の陰でカーの弱点は歴然としています。

 

まず、人物が外面描写でしか示されません。どんなに細かく描写されようがどういう人か掴めないのです。しかし、これは本格もの全般に言えることではあります。

 

次に指摘できるのが、会話の冗漫さです。人物を描き分けるため、訊かれもしないことを喋りだすのには笑いました。この冗長癖はロシア小説っぽい。カーはロシア小説を嫌っていましたが、その要素を持ち合わせていたのは皮肉なことです。

 

 

『第三の銃弾』 以降のディクスン・カー

 

カーは最後まで枠組み・プロットにこだわり、書き続け、次第に衰えていきました。まさに「腐ってもカー」でした。信念に殉じたと言えるでしょう。

 

しかし、素晴らしいエネルギー、ヴァイタリティーの持ち主でした。速筆だったと思われます。

 

『アラビアンナイトの殺人』 『ゴドフリー卿』 『コナン・ドイル伝』 『九つの答』 『ビロードの悪魔』……代表作は皆大著です。

 

これだけでも凡人の及ばぬ境地にあったと考えられます。しかし、評価は一定でなく、毀誉褒貶が激しいのが現実のようです。

 

 

ミステリ通のワタシが選ぶベスト長篇

では、個人的ベスト長篇をあげてみましょう。それは江戸川乱歩、横溝正史の選出と同じです。

 

 『帽子収集狂事件』

数年前数十年ぶりに再読し、感嘆しました。人物造型が冴えているではありませんか。各人の描き分けが抜群です。これだけでもベスト・ワンにあげられると思います。

事件そのものはシンプルで、プロットは弱いと言えるかもしれません。

メインの事件だけでは弱いので、帽子事件とポーの未発表原稿というストーリーを撚り合わせた感じです。しかし、この初期作品のシンプルさは十分魅力的です。

シンプル・簡潔で丁寧。これが初期作品の特徴です。初期バンコラン予審判事もの(『蝋人形館の殺人』など)、パット・ロシターもの(『毒のたわむれ』)はもっと評価されていいでしょう。

 

さらに『帽子』の優れているのは、ご当地・観光ミステリになっていることです。舞台は世界遺産のロンドン塔は逆賊門(トレイターズ・ゲート)付近。逆巻く霧のなか、死体が浮かび上がる構図です。『帽子』を読んでロンドン観光、というのも乙ではありませんか。

 

*『帽子』はギデオン・フェルものですが、メリヴェール卿ものにもご当地ミステリはあります。

 

 

メリヴェール譚の最後を飾る中篇『奇蹟を解く男』(短篇集『パリから来た紳士』収載)です。こちらはセント・ポール寺院の「ささやきの回廊」が重要な舞台になります。ご興味が湧きましたら、こちらもご一読ください。

 

 

 

キャプション

①『第三の銃弾[完全版]』ハヤカワ文庫2001年刊

②新潮文庫版『帽子収集狂事件』池田満寿夫氏による素敵なカバー、なお創元推理文庫で新訳版が出ています。

③創元推理文庫版『パリから来た紳士』

執筆者 徹

 

 

 

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