ヒラリー・ハーンによる一連のコンサート鑑賞記録です。(2018年12/3.5.12 )
バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会(2018年12月3日、5日)
ヴァイオリン協奏曲一番と二番(2018年12月12日 パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団)
あまりの感銘の深さ・大きさに今日まで筆を執ることができませんでした。
調べると、この12/3は17年前ヒラリー・ハーンが会場は同じオペラシティコンサートホールで初リサイタルを開催した日に当たります。その時もプログラムにバッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番が組み込まれていました。17年の時を経て、演奏にどのような円熟味が加わったか楽しみでありました。
このオペラシティのホールはヒラリーの大のお気に入りのホールだそうで、この最高のホールで最高の演奏をしたいという意気込みがひしひしと伝わってきました。
プログラムのうち、他に過去に取り上げたものとしては、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番(2009)無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番よりシャコンヌ(2013)無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番(2005と2016)があります。
個人的に申しますと、私は良きバッハ聴きではありません。縁がないかと言われればそうでもなく、昔友人に連れられて、ライプツィヒのセント・トーマス教会に行き、墓参の栄誉まで浴させていただいているのです。ただその音楽の知と情の合わさった凄さ・近寄りがたさに、一歩引いている状態です。奏者によって演奏スタイルが大幅に異なるのも、戸惑いの元です。
バッハにはこれが正しいという演奏スタイルがないのです。あとは個人の好みとなるでしょうが、ヴァイオリンに限って言えば、縦の旋律と横の和音のどちらを重視するかによって演奏内容は様変わりします。旋律線を整えれば音楽は明瞭になりますが、何か物足りない印象を残すでしょう。和音を重視すれば逆に音に夾雑物が増え、音楽は不明瞭になります。
これまでヒラリーの演奏は旋律線重視のものでした。当夜の演奏はどうだったでしょうか。
12/3(月)の演奏会
- 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番
- 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番
- 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番
- アンコール:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番よりアンダンテ
正直驚きました。大胆な歌いまわし、アゴーギグ。ダイナミクスの大きさ。何よりもその不明瞭な部分の多さに舌を巻きました。これがあのヒラリー・ハーンなのだろうか。「シャコンヌ」で調性が確立するまでの長い節回しの不明瞭さはどうでしょう。嫌でも不安を掻き立てられます。この原因は横の和音の重視にもよりますが、音符の強拍と弱拍の均等化もしくは逆転によるものと思われます。勢い音楽は鋭さを失い、混沌とします。
このヒラリーのバッハ体験は、予想外で初めてのものでした。恣意的ともとれる音楽の荒い崩し方は評論家の故宇野功芳さんが聴かれたら喜びそうな演奏だったのではないでしょうか。混沌、言い方を変えれば光水風などの原初状態それと不安、この2つのモチーフはアルバム『シルフラ』にも盛り込まれていたものです。
12/5(水)の演奏会
- 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番
- 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番
- 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番
- アンコール:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番よりサラバンド
前夜よりも力が抜け、明るく良い演奏会だったと思います。得意曲のパルティータ3番があったせいか、一回目より高音の伸びやかさが光っていたと思います。ソナタ第2番のアンダンテは前夜のアンコールを上回る名演でした。思わず目頭が熱くなりました。前夜のアンコールでの終結部の微妙なズレを修正してくるところに、プロの意地を感じます。
3番パルティータのプレリュード。倍音が倍音を生み、音のきらびやかな舞い。光彩陸離とはこのことを指すのでしょう。3番のパルティータでは軽快で明るい導入と終結、一番有名なガヴォット・アン・ロンドー(昔の人形劇の「新八犬伝」のテーマと同じ音型)を中間に配置し、ルールとメヌエットが前後にあるのですが、このルールとメヌエットがやや退屈な印象があります。
これは単体では決して退屈なものではないのですが、他が煌びやかすぎてくすんだ感じがするのです。それを当夜のヒラリーは殊に丁寧に弾いていたのが印象的でした。地味でやや単調な音楽に演奏家の真価が試されるのがこれまでのキャリアでわかっていたし、また聴衆のそうした気持ちを慮ってことさら魅力的な音楽を届けてくれたように思いました。
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番は三度目のライヴ体験ですが、年月を置いているのでその都度印象は異なります。インパクトが強烈だったのは2005年ライヴ。個人的に好きなのは2016年ライヴ。今回のは一番力強く、こくがあり、じっくり歌い込んだ小節(こぶし)の利いた演奏だったように思います。
メヌエットの後半ではどこまでも広がるカントリーサイドがありありと浮かび上がりました。それはバッハにとっての理想郷であり、ヒラリーの理想郷でもあるのでしょう。カントリーの雰囲気は2番のアンダンテにも共通しています。なお、後半のブレーとジグはアタッカで切れ目なく演奏されました。
総括すると、もの凄い演奏会を聴いた感動の余韻が当分収まりそうもありません。
なお聴いた席は3階のL列ステージ寄りでした。ヒラリーの姿は乗り出さないと拝めませんが、届く音は適度の距離感があって最高です。家のステレオ装置で聞く音はマイクに近すぎて、ライヴの程よいブレンド感は望むべくもありません。
嬉しいことに、radiofranceで初日と同じ演目をアーカイヴで聴くことができます。
ヒラリー・ハーン&パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団
(12月12日)
バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番と第2番
ヒラリーの衣装は無伴奏の時(黒地に花のアプリケ)とは打って変わって、あでやかな赤の衣装。席はステージ向かって右列やや離れた席次で聴きました。
ステージから離れた分、音がか細くなり、無伴奏と違って美音に浸ることはできませんでした。またカンマーフィルの音は堅めの音だったので、ヒラリーのヴァイオリンと合っていたかどうかは微妙な所です。もちろん共演機会の豊富な双方ですから、息の方はぴったりでしたが。
1番と2番を通しで聴いた印象は、同じコンビでもう一度聴きたいというものでした。2番の1楽章では多少の音程のブレがありました。コンサートでの演奏機会が少ない演目でしたので、ヒラリーにとってもチャレンジだったのではないでしょうか。2楽章のたっぷり間合いを取った歌いまわしは最大の聴きどころだったと思います。アンコールは2回あり、無伴奏パルティータ3番より「ルール」と「ブレー」でした。
【執筆者:徹】