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『アッシジの聖フランチェスコ』@びわ湖ホール~満を持しての初演に神も祝福!~

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2017年11月23日 びわ湖ホールで鑑賞した「アッシジの聖フランチェスコ」の記録です。

 

オリヴィエ・メシアン作曲

「アッシジの聖フランチェスコ」

シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団

2017年11月23日 びわ湖ホール

 

<出演者>

フランシチェスコ:ヴァンサン・ル・テクシエ

重い皮膚病を患う人:ペーター・ブロンダー

天使:エメーケ・バラート

修道士たち:フィリップ・アディス、エド・ライオン、ジャン=ノエル・ブリアン、妻屋秀和、ジョン ハオ、畠山茂

合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル、新国立劇場合唱団

合唱指揮:冨平恭平

オンド・マルトノ:ヴァレリー・アルトマン=クラヴリー、大矢素子、小川遥

 

待望の日本初演の二回目公演です。

 

通常の滔々と音楽が流れるオペラとは異なり、オケと独唱、合唱が適度に分離し、旋律も短く切れ切れの感じがあり、聞きづらい印象はありません。

冒頭の壮絶な打楽器群の変拍子の打鍵が続き、静謐な浮き彫りにされたフランチェスコの独唱、増4度の下行音型フランチェスコの主題は耳に馴染みやすいです。随所に挟まれる不協和音は信仰に生きる者の不安と前途の厳しさを表わしているようです。

トゥーランガリアでお馴染みのメロディー主題が現れたり、これもお馴染みの四拍の上昇音型が頻出します。さながら全体はトゥーランガリア+日本の能舞台、といった印象です。初見でも十分鑑賞に耐えたと思います。

 

ラストは合唱、オケ、打楽器、木管による鳥の音型が合わさり、独特の高揚と法悦空間を現出、ホールの天井が抜け落ちるかの音量で終結しました。一生に一度の音楽体験に相応しい貴重なひと時でした。客席のスタンディングオベーションも華を添えました。このような機会を実現してくださった、すべての関係者の方々に感謝を申し上げたいと思います。

 

(*公演は13時に始まり、途中二回の35分休憩を挟み、1840分ぐらいに終わりました。休憩時にホール外のレストランで喫茶もできますが、非常に混むうえ列が一向に進まないため、適当なドリンク持参でホール外のベンチで休まれることをお勧めします。入館時のクロークも非常に混雑しました。)

 

このような宗教曲の場合、曲の頂点はたいがい中間部にあります。この中間部の天使のアリア、オンド・マルトノのロングトーンの静かな旋律は真に感動的でした。

しかし、第一幕の終結部、重い皮膚病患者とフランチェスコとの唱和自体も非常に感銘を受けました。重い皮膚病とは原語で「レプラ」と言っていますから、何の病気かは言うまでもありません。その彼が最後に「自分は病のために独りよがりとなり、信仰に生きる者では既になかった」と嘆きます。それに対してフランチェスコも「自分とてまだまだ未熟者だ」と謙虚に応えるのです。

ここで打ち出されるのが「欠如の思想」「光と闇の思想」、つまり昔授業で学んだ「不完全さの自覚による完全性として神の現出」です。哲学的には光は己をよく自覚されるために闇を必要とされた、ということなのでしょう。こうしたことが一挙に思い出され、最後の二人の抱擁を暗示するシーンでは涙腺が緩むのを抑えることはできませんでした。

 

第二幕で散りばめられた鳥の鳴き声の音型も豊富で、こちらに妙味を感じられた方もいらしたかと思います。

なお、第一回目の休憩時にびわ湖湖上に美しい虹がかかりました。神が降臨したと感じたのは私だけではないはずです。

こう書いてくると、全体はかなり堅苦しい印象を持たれるかもしれませんが、実際はゆったりした進行で非常に高い視座から作られており、宗教臭はそれほど強くありません。

他の修道士たちのやり取り、旅する天使のドアを強く「ドンドンドン」と叩く音のシーンなどにユーモアが散りばめられていたと思います。飛天を思わせるバラートさんの衣装も官能性を湛え素晴らしかったです。しかし、コンサートホール上演よりも教会がより似つかわしいとは言えそうです。

 

【執筆者:徹】

 

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