Chantal Dumo ~ささやかな癒しと自由を求めて~

シャンタル・デュモ

生き方

今さらだけど、『友だちって何だろう?』としみじみしてみた。

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こんにちは、かりんです。今年もあと少し、、、と肌寒い季節になってふと、こう思った。

 

あれっ?今年、いったい友だちと呼べる人と何回、お出かけしたのだろう?

かりん猫
1..2..3...4....5。 えっ???たったの5回だけ?

他の友人たちからの、愉しそうなお出かけLine報告を尻目に『ワタシもしかして、友だち少なすぎなんぢゃ( ゚Д゚)』と少し落ち込んでみたり。

 

街中で友だちと遊んでいる女性たちがキラキラと眩しすぎて、普段は気にならないのにやけに目についたり。

 

今さらながら、友だちについて考えてみたくなりました。

ワタシ、かりん、40後半既婚で子どもなし。ペットなし。職場に同僚なし。趣味のヨガスタジオにも友だちなし。(スタジオ内、私語厳禁だから不都合なし。)日常生活の人間関係は、まあ自由。無理に交友関係を育む必要性にかられていないのが現状。

 

友だちに関する考え方が、年齢を経るごとに変わっていったような気がする。

 

学生時代の友だち関係は、世界の中心だった

子供時代...80年代の中高生のワタシには、どんな友だち・グループに属するかが全てだった。

いじめ問題は今ほど深刻化していなかったけれど、仲間外れやイジメは存在していたし、クラス内の見えないヒエラルキーだって存在していた。

学生時代を過ごすために、友だちは必要不可欠な存在だった。自分が快適に過ごすためにもね。

 

80年代前半の公立中学では、ツッパリ(不良)が学校の人気者。何故か不良の女子は美形が多かった。

高校大学は私立女子校だったので、華やかな美人が人気者。超美人の友だちと同じグループにいることで、自分の立ち位置を維持しようとしていた。(金持ちの禿オヤジと同じ発想ですかね~。)

正直に告白しましょう。はい、友だちを顔面で選んでました

 

学生時代から20代の友達つき合いは、とっても他愛のないことばかり。

〇一緒に遊びにいく

〇恋愛相談

〇バカみたいなことをやって、笑う。はしゃぐ。

〇先生の悪口を言う。

 

『愉しむ・遊びに行く』という方向へ、同じように向き合っていたのが『学生時代の友だち付き合い』でした。

かりん猫
ベクトルが、enjoy だったのですね♬

 

 

30代から、友だちと『目指すベクトル』に多様化が生じてきた

『オンナ友だちは、共通点が多いほど友だちになりやすい』と良く言われている。

学生時代仲良かった友だち関係が、一旦疎遠になるのも30代~。

もはや共通点の無くなった元同級生は、思い出話しか話題が盛り上がらなくなってきたり、お互いが変わってしまったことに、ふと淋しくなる。

 

この時期、時間に余裕のある人は『趣味に没頭して、趣味という同じベクトルの友人』を得ることになる。

趣味というベクトルは、家族構成・経済状況・ルックスなど飛び越えて、『趣味の上達』という共通目的の元に手を取り合うんです。

 

しかし、趣味で知り合った友人は、往々にしてその習い事を辞めた途端に、自然消滅してしまいがち。

元々、趣味以外に共通項がなかった友人は、例え汗水垂らして共に励んでいたとしても、趣味の縁が切れたと同時に友人関係もジ・エンドになりがちだと思う。

 

学生時代の友人が10数年疎遠でも、ふとしたきっかけで復縁するのに反して、趣味友だちのキズナは思いのほか浅い場合が多い。

 

大人になってからの友だちは、他に換えの効くカジュアルなモノなのかもしれませんね。

環境に応じて(TPOに応じて)服をチェンジしていくように、女たちはチャチャっと、今いる状況や環境に合わせて友だちを身につけていくのだ。

 

集団という環境に身を置いている時は、友だちがいないと孤独を感じるけれど、集団と無縁のいまは、『友だちの必要性』をあんまり感じない。

学生時代とか、会社勤めの時は、集団の中で仲間や友人がいないと『恥ずかしい』『惨めっぽく見られてヤダ』『1人ランチはちょっと。。。』と感じて、友だち作りが当たり前になっていた。

友だちがいて当たり前の世界だった。集団の中でこそ、孤独は恐怖だったから

 

大人から習ったバレエ教室でも同じ。集団の中で、一緒に行動する仲間を作り孤独を避けるようにしていた。

 

そして、自然に友だちが増えていった。....友だちがいるのが当たり前のように。

 

現在、集団とは無縁の生活を送って2年ちょい。心境の変化を感じている。

 

友だちから解放されて、友だち中心の生活から解放されて、なんて時間もココロも自由なんだろう♬

有効な時間が増えた分、好きなだけ読書をしたり、家族といっぱい出かけたり、気ままにひとり街歩きしたり、ブログを書いたり....

山の頂上からヤッホー♬ と叫んでいるような解放感を味わっております。

 

かりん猫
ああ、自分を縛りつける『友だち』なら、いらないんだな。

 

友だちは1~2年に1回、会えればOK♬Lineのチャットで話もできるし。

学生時代の友だち、趣味の友だち、外国人の友だちなど、Lineなどのチャットで日常的に会話してます。

写真の交換もできるし、リアルタイムでチャットできるから『いつでも話できちゃうから、特に会わなくても良いかな~』と最近感じてます。→ 多少の強がりはありますが....。

 

友だちとのかかわり方、SNSが使えるようになって、頻繁に会ったりする場所移動の必然性を感じなくなりましたね。

 

ただし、ワタシがもう少し年を重ねて60代を過ぎる頃、『友だちとは直接会いたい!それも頻繁に!』という考えに変わるかもしれませんね。

だって、家に閉じこもってSNSばかりやっているシニアは、不健康で足腰が弱るばかりですから。身体を使って、生身の友だちにいっぱい会って、一緒に笑いあって美味しいごはんを食べるのが、幸せな友だちつき合いなのかな~と想像します。

 

友だちとの向き合い方は、年齢ごとに変わっていくもの

10代~30代、そして現在を振り返ってみて、友だちとの向き合い方・考え方が常に変わっていることに気がつきました。

40代後半になり、友だちつき合いの考え方に気づきがあったように、50代、60代、70代...とその時の健康状態や、心理状態、様々な環境の変化のなかで、『友だちって何だろう?』と考えたり、気づいたりするのでしょうね。

 

自ら友だちを求めている時には、趣味などの活動を積極的にしていく中で自然と友だちを増やしていけるでしょう。また、内省的で『友だちは今は不要!!!』と感じている時には、自然と友だちを制限し、つき合いも疎遠になっていくのかもしれませんね。

いずれにしても、大人になってから友だちを無理に作ることはないんじゃないかな、というのが今の心境です。

友だちに依存することなく、孤独とも向き合っていく中で、『この人素敵だな☆』という出会いがあればワタシは狩りにいきますよー。

 

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