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シューリヒト × ウィーン・フィル 生涯最後の共演~ブルックナー第3番(ASD2284)は、果たして本当に悪評どおりの演奏だったのか?~

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こんにちは、かりんです。主人が、以下クラシック評論を寄稿してくれました。

 

シューリヒトとブルックナー

シューリヒトはウィーン・フィルと1965年8月にザルツブルグで生涯最後のライブを行いました。(オール・モーツァルト・プログラム 音源なし)。

レコーディングではこのブルックナー3番が最後に取り上げられ、同年12月になされました。

永年このレコードの評判は良くありませんでした。

 

なぜ、このレコード『シューリヒトのブルックナー3番』は不評であったのか?実際に視聴して確かめてみた。

それは、ブルックナー演奏評価に一家言あった、今は亡き著名音楽評論家の評価のせいです。彼はウィーン・フィルとの三つのブルックナー録音(3、8、9番)のうち、最後になされたこの3番を一番出来が悪いとこき下ろしたのです。しかし、果たしてそうだったのでしょうか。

 今回試聴した音源はイギリスEMI音源のTESTAMENT社による復刻LPです。

制作者のコメント:〈このステレオファイファイには自信があり、万が一音が悪いのでしたら貴殿のステレオ装置に欠陥があるのではありませんか〉。

 

これまでこの3番は三種類のCDで聴いてきましたが、いずれも満足には遠いものでした。弦の部分が痩せ、金管が突出するところは突出するが、不自然に強く、また弱すぎるところが散見されるのです。

 

今回のLPを聴いて、その不自然感は一掃されました。

すべてのフレーズが自然に収まっています。録音場所の所為か(ムジークフェライン・ザール)弦部が遠のいているのは仕方ないとはいえ、CDほど死んではいません。何といっても全体の自然なブレンド感が素晴らしく、実際の演奏会をそのままレコードにした感じです。左配置のホルンが実に効果的で、CDほど区分けされていないのがいいです。全楽章通じて金管群は大健闘です(二楽章の盛り上がりで楽器が重なるところは最高です)。

 

また2楽章での裏面への切れ目もセンス良く、ベーム盤よりよいです。全体の流れは実に自然で澱むことなく滔々と流れていきます。恣意的な味付けは皆無ですので、この指揮者の強い個性を好む者には物足りないかもしれませんが、曲そのものを楽しみたい向きにはこれ以上の演奏はありえません。癖がないため再現芸術として何度でも楽しめるのです。力を抜いて曲そのものの魅力を導出した貴重な遺産の一つです。平凡の非凡とはまさにこの演奏に当てはまる言葉でしょう。

 

皆さんも是非このLPに一度耳を傾けてみてください。

かりん猫
タワーレコードで手に入りやすいみたいですよ!

 

レコード『シューリヒトのブルックナー3番』の不評の要因は?

おそらく、先の評論家は個性が薄い=悪い演奏の固定観念に当てはめたものと思われます。

実はこの演奏は同じ指揮者の8番9番より良い演奏なのではないでしょうか。別の評論家のコメントも上と同じようなことを言っておりました。正確でない記憶を頼りに記しますと、

個性を売りにした指揮者でも、客観的な演奏が可能であることを実証したもの。全体の統率力には衰えがあるかもしれないが、終楽章の金管の迫力などなかなかのものだ。全体の自然な造型は第三交響曲を親しみやすいものにしている

 

 

(閑話休題)

 

ベーム盤のこと

世評高いレコードで昔はよく聴いていました。しかしこの指揮者の人となりを知り、他のアクの強い演奏を聴くにつれ急速に離れていきました。芝居がかった、こけおどし的な所がある演奏です。 

 

ブルックナーのこと

ほとんど聴かなくなりました(祝祭的なこの演奏は例外)。賞味期限を迎えたということでしょうか。

特に後期のシンフォニー(8番、9番)は受け付けなくなりました。8番9番とも評論家お墨付きの名曲だったはずですが。マタチッチの8番(いまだに持ち上げている人がいるようです)など何それっていう感じです。現実は単純に直線的に上昇していくものではない、結末に飛ぶのでなく最後まで彷徨っていたいという気持ちが強まると、ブルックナーとは縁が切れる時なのかもしれません。ミサ曲は改めて聴いてみようと思います。

執筆者 徹

 

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