こんにちは、かりんです。
ミステリーファンならお馴染みのヘレン・マクロイ。この記事では、ミステリ通の主人、徹がマクロイのお勧めミステリを紹介していきます。
この記事は、以前gooblog『いつもココロに栄養を』に主人が寄稿してくれたものを移行しました。
はじめに ヘレン・マクロイについて
昔、女子フィギュアスケーターにミッシェル・クワンという名選手がいました。
彼女の愛称が「ミズ・パーフェクト」でした。常に完璧に近い演技を披露し、チャンピオンシップを次々に獲得していったのです。
では、ミステリ界における「ミズ・パーフェクト」はと訊ねられると、一も二もなくこう答えられます。
「ヘレン・マクロイ女史」だと。
1938年に『死の舞踏』でデビューしたマクロイは、翻訳の少ない人でしたが、やっと邦訳長篇が10作品となりました。そのすべてがアベレージが高く、ミステリの醍醐味を味わわせてくれます。
今回紹介するのは最新翻訳長篇 『逃げる幻』 (1945)です。
ヘレン・マクロイ『逃げる幻』 (1945)あらすじ
舞台は伝説と民間伝承に事欠かないイギリス・スコットランドの風光明媚なハイランド地方。
海軍大尉のダンバーは密命を帯び、その地に赴きますが、そこで家出を繰り返す謎の少年に出会います。しかも、逃げ出しては荒野(ムア)の真ん中で決まって煙のように消えうせてしまうのです。再び現れたとき、少年は心を閉ざし、口を割ろうとしません。
少年はある作家夫婦の養子で、母親から溺愛を受けています。父親は事態を冷淡に受け止めているようでした。精神科医でもあるダンバーはその一家の人たちと関わり、少年の精神の襞に分け入ろうとしますが、妄想のみ広がるだけで謎は深まるばかりです。
やがて荒野の真ん中を流れる渓流の川床で男の死体が発見され、さらにそこを下った一軒家で密室状況下での殺人が起きます。この伝説の地で何が進行しているのでしょうか。
ヘレン・マクロイ『逃げる幻』 解説
本の帯には「人間消失と密室殺人」と謳っております。
それは単なるフックで、常識の範囲で解決されます。勘違いなさらぬように。
メインのトリックは他にあり、フランス語を使ったレッド・へリング、発音のトリックは見事の一言。
似たようなトリックを扱った作品に、ディクスン・カーの『バトラー弁護に立つ』がありますが、大人と子供のような差があります。女史の凄みが窺えます。また、女史得意の暗号めいたメッセージの謎もあります。そちらも唸らされますね。
心理学的捜査とペダンティックな教養主義もマクロイの作品には顕著です。
こちらはヴァン・ダイン流の上っ面を撫でただけの行き方を、さらに踏み込んで徹底させ、現実に根付かせたものとなっています。
ですから、時にこれらの要素が浮き上がって鼻につき、作品に堅苦しさをもたらしてしまう場合もあるのですが、本作ではそれらが作品背景と見事にマッチし、違和感なく融けこんでいると思います。
(館の当主が語るスコットランドの歴史の件には、思わず引き込まれました。またこの時代ならではのナチズム批判も見られます)
情景描写と人物描写も天下一品です。
スコットランドの雄大な自然、建物内部の様子、個性的な登場人物の見目形を想像しながら読み進めるのは至福の一時でしょう。是非、この名作を心ゆくまで堪能して下さい。
最後にマクロイ作品で印象に残ったペダントリー、名台詞をご紹介しましょう。
作品は『暗い鏡の中に』(高橋豊訳、ハヤカワ・ミステリ文庫より)
「……法律的な死は虚構なのよ。……死はそんな瞬間的なものではないのよ。それは、肉体に一定の程度の新陳代謝や体温を与えて、人間としての機能を保たせている組織的な力が徐々に崩壊することなのよ。つまり、息をひきとるということは生の終りではなくて、死にかけている状態の──肉体が朽ちはててしまうまでは終らない過程の──はじまりなのね」
「あなたもぼくも、ほかのだれひとりとして永遠に、この事件の真相を知ることはできないでしょう。その一部すらもね。すべてはなぞです。それにほんの少しのなぞを加えることも、減らすこともできないでしょう」彼は星くずを見上げて、ひそかにほくそえんだ。「あそこに何があるのか、神さましか知らないのだよ!」
執筆者 徹